自己評価と人間力
若い頃は見た目が華やかで美しい人 が人気もあり誰もが魅力を感じる
マドンナや王子さまに
これはもう生まれつきの幸運に左右される
しかし この生まれつきの魅力も
長くて40歳までの期間限定だと思う
人間には
生きていく過程で与えられた試練がある
その試練は 一様ではなく
ひとりひとり皆違う
個人のテーマの様である
試練は人を強くし 輝かせる
50代になった今
男でも女でもなく 人間として
その人が纏うオーラ
その人が放つ人間力の輝きに魅力を
感じる
自分のことは
最上段の棚の上に置いておいている😢
以前勤めていた時の20歳年上の同僚
自分の事が大好きと常々言っており
自己評価がとても高い
仕事に時間がかかっていても
「私は丁寧できっちりしてるから」と
いい 同僚にフォローしてもらっていることに気づかない
丁寧という割に ポイントを押さえられていない
「この日に私が出勤してあげる
そしたら 皆んな休みが取れるから」というけれど この日は仕事がとっても楽
そして気難しいドクターがやってくる
いつもドクターを怒らせているので
「若い子に同行してもらわないとね」といい 仕事を選ぶ
この日の出勤の大仕事はやってくれない
しかも いつも一言多く
ドクターをさらに不機嫌にさせ
そのフォローをする羽目に
結局 仕事を増やしている
でも自己評価が高いので
自分のすることは 容認している
乙女チックな面があり
バツイチも加勢しているのか
60歳を過ぎても
初恋の人が忘れられない
自分が死ぬ時は 初恋の彼に
手を握られながら死ぬのが夢だと言っていた
仕事柄 多くの方々の看取りを
経験させてもらった
その経験の中で ドラマや映画の
ワンシーンに登場する
夢のように綺麗な最期を迎えた方に
遭遇したことがない
自分の事が 何もできなくなる
お化粧もできず 洗髪もできず
髪もみだれる 洗顔もできない
更衣ができずパジャマ姿で
おしゃれもできない
息苦しさや 痛みから 表情も険しく
笑顔とは無縁になる
疾患によっては その場にいることが
5分が限界といった体臭を放つ
そんな経験から
私は
もし仮に大好きだった憧れの人が
いたとしても
自分の最期の姿を見られたくない
それに
手など握ってもらおうなんぞ
考えた事もない
看取りは 何度経験しても
できることなら 自分の勤務の時は
避けたいと思いながら出勤していた
看ているこちら側も かなり辛い
そう思うと 自分の看取りを
お願いする事に 気兼ねしてしまう
自己評価の高い人は
どんな自分も愛す事ができる
思うままに生きる事ができ
とても羨ましく思う
だけど
自己愛が過度になると
自分は何をしても許される
自分は間違っていないと
自分の試練を他人に押し付け
我を顧みる事がなくなる
自分の考えに固執し
成長する機会を逃していく
年輪を重ねても 子供のようで
そこに輝きや魅力を感じられない
同じ専門職で 同じ経験をしてきても
捉え方が真逆にある
50代になった今 彼女のことを
思い出し そんな事を考えている
(´⊙ω⊙`)
自分のすることは
全て許され