ひとり天花のブログ

アラ還 気まま暮らし

タイミング

今から30年ぐらい前

内科の診療所に勤めていた

地域医療にも力を注ぐ開業医で

診察の傍ら 訪問医療もされていた

 

1階が診療スペースで

2階がリハビリスペース

このリハビリに通うお年寄りが

多くいた

リハビリの後 身体がだるいと

点滴をして帰るお年寄りもいた 😵

毎日のように通院していると

患者さん同士の顔見知りができている

「ここに来なくても いいんだけど

ここに来ないと 日が長くてねー」と

愚痴をこぼしていた

9時診療スタートだけど

朝7時から 門の前に並び 時に 

順番を巡り 口論もする

阪神淡路大震災のあの日 

公共機関がストップしたため

私は 出勤ができなかった

その日も

門の前に数人のお年寄りが 

並んでいたことを 後日 耳にした‼️

近隣に住む職員の自宅も 物が落ち

片付けもままならない中の

出勤だったため 

この時のお年寄りの光景に

驚きと怒りを覚えたそうだ 😤

 

しばらく来院しなかったお年寄りに

どうしていたのか理由を聞くと

風邪をひいて寝込んで来られなかったと

うーん ここは風邪をひいた時に

来る場所なんだけど 😁

当時は一律 55歳か60歳が定年

またまだ元気だけど 行き場がない

そんなお年寄りの 憩いの場にもなっていた

元々膝が悪く 歩行器をおしながら

通院していたKさん

自宅で転倒して手首を骨折したため

来院不可となった

往診にいくと日本家屋の和室に    布団をしき 横になっていた

痛み止めの内服と湿布交換

栄養補給の点滴をしばらく続け

起きられるようになった

点滴が終わるまで 日常会話をする

聞けば 息子と2人暮らし

母が動けなくなり室内は

散乱している 

それまでは 家事全般を

母が担当していたが

今は息子が仕事帰りにお弁当を

購入するだけで その他の家事は

滞り気味 😵

「あの子には 結婚したいという人が

いた だけど お互い一人っ子で

養子に来てほしいといわれて

うちは 跡取り息子だからと

私が大反対したの」

「それ以降 縁がなくて 1人もの

私もこんな身体になって 何もできない

あの時に 反対しなければよかった

後悔している」

「あの子も50歳になってしまい今更

誰もお嫁に来てくれない」

そんな愚痴をきく日もあった

当時は 家同士の結びつきが

重んじられ 一人息子となれば

養子には 出せない

一人娘は 跡取りをもらい家系をつなぐ

そんな文化が残っていた

跡取りにこだわり 破談にしたけど

息子に続く跡取りが断絶してしまった

 

運も縁もタイミングがある

そのチャンスを逃してしまうと次がない

あの立派なお屋敷は

今 どうなっているのか❓

そんなことを ふと 考えてしまった